きらきらひかる

きみが好きだよ!

いまさらみほとせかんそうぶん


 タイトル、ひらがなまみれだと小学生レベルの感想しか書いてなさそうですよね。期待値を下げることを狙っています。

※注意してほしいのですが、以下の文章はみほとせ再演後の4月頃に書いて眠らせていたのを引っ張ってなんとか最後まで書き切ったやつなので、当時の考えと多少思想の差が生じていたり、もう何もかも忘れていたり、そもそもネタが古いという問題が発生しまくっています。あらかじめご了承下さい。



 遅くなりましたが、ミュージカル『刀剣乱舞』〜三百年の子守唄〜、全公演お疲れ様でした。

 当初考えていたこれだけは最低行くかな……って数よりは多く行けたので、まあ頑張ったということにします。私よりももっと頑張ってる人もいたとは思いますけど、そんなの私が頑張ったと思ったら頑張ったんだよ!ってことでここはひとつ。途中体力的にも精神的にも疲れちゃってどうなることかと思ったんですけどね……。無事終えられて良かったです。



 さて、今回は大倶利伽羅を中心にみほとせの感想を書こうと思います。
 とはいえ私はバリバリ理系かつ国語全般苦手で、学生時代登場人物の気持ちを100字以内で記述せよ系は知らねーーー!!!って無記入ガン無視決めこんでたタイプの人間なので、考えが浅いとかこんなものか……って思っても優しくしてあげてください。文脈とかよく分からないので……あと歴史の知識もないので……。*1
 あと私は初演を見ずに再演を観に行っていたので(凱旋前に一応映像は確認しましたが……)、再演で初めてみほとせを見た人の感想だということを念頭に置いてくれると嬉しいです。


 一番に思ったのは、「家康↔信康」と「石切丸↔大倶利伽羅」は同じ構造なのかなって点です。
 みほとせのストーリーの中で、家康と石切丸は戦をなくすために戦っている、もちろん戦うこと自体は好きではないという点が、信康と大倶利伽羅は吾兵が亡くなることによって戦う意味を考えさせられる点が共通です。
 ただ信康と大倶利伽羅で大きく違ってくるのは、その吾兵を失うという分岐で大倶利伽羅は戦のない世のために戦うことを選んだけど、信康は刀を握れなくなってしまうんですよね。
 大倶利伽羅は全ての戦を終えるまでは花は供えない、と言っていたけれど、逆に言えばもしここで花を供えてしまったら彼は戦えなくなってしまうことも意味するとも取れる。「俺には俺の戦い方がある」というセリフからも大倶利伽羅は戦う時に感情を背負わない姿勢を取ることが分かるけど、つまり花を供える行為は祈りを捧げてしまう=石切丸と同様に思いを背負ってしまうことを意味するのかなって思いました。
 そう考えると、信康はあのシーンで吾兵に手を合わせてしまっていて、かつ戦えなくなる、刀を握れなくなっているので、やっぱり信康と大倶利伽羅は戦いに関しては本質的には一緒なのでは……みたいな。石切丸に関しても、家康のどんな気持ちで戦ってると思ってるんだってセリフはみほとせの石切丸にしっくりくるなって個人的には思うので、この構造はできあがってると思ってもおかしくないのかな……と。

 ただ、文盲すぎて上にも出した大倶利伽羅の「俺には俺の戦い方がある」というセリフを完全に理解し切れなかったのが悔いなので、誰か噛み砕いて教えてくれると助かります……。
 石切丸のように出会ってきた人全てに祈りを捧げ、思いを背負って戦うことはできない、感情を排除することで俺は戦える(→だから全ての戦いを終えるまでは花は供えない)ってところまでは読めるんですけど、そのセリフが終盤の大倶利伽羅にどういう風に繋がってるのかが上手く汲み取りきれなかったんですよね……多分大事なセリフなので繋がってるとは思うんですけど、もう一度言いますが文盲なので……。(下手すると一番重要な話なのでは?)



 あと、一応元推しの影響でトライアル、阿津賀志山異聞初演、幕末天狼傅は見ていたのですが、刀同士でいざこざがあったら手合わせをするのはお決まりなんですね。*2
 このシーン、大倶利伽羅のことしか考えずに見ていたので軽い重いって何……石切丸のことだから含蓄のあること言ってたりするのかな……とか思っていたのですが、単に自分だけが精神的な面で重荷を背負って戦っていて、大倶利伽羅は背負うものがないことに対する八つ当たりではみたいな話を聞いて、あ〜なるほど……と思いつつもなんだよ!!!になりました笑
 そう考えると二度目の手合わせは大倶利伽羅が石切丸に歩み寄ってるシーンになるわけですね……大倶利伽羅……いい子じゃん…………。
 それにしても、感情は要らないと割り切って戦ってるような人(刀?)に感情を背負わせるように仕向ける石切丸さん、なかなかに鬼畜では?もちろんそれによって大倶利伽羅も気付くこと、成長したことはたくさんあると思いますが。



 最後のシーンなんかも、徳川の一生の60年余りに大倶利伽羅榊原康政として寄り添わなければ生じないシーンですしね。
 個人的にあのシーン、凱旋辺りから「笑う」という自分らしくない行動をしたことに対するはっとした顔じゃなくて、自分に「笑う」という行為に至るまでの感情が発生したことに対するはっとした顔に見えたのですが、どうでしょう。*3
 戦は怖いかどうか尋ねられた時にYesかNoかではなく、「分からない」と答えていた大倶利伽羅に、石切丸が綴った三百年の子守唄という話の中で色んな感情が芽生え、持つようになったことが示唆されてるのかな〜……なんて思いました。
 そもそも最初、大倶利伽羅はただ無愛想なキャラだと思っていたのですが、みほとせのストーリーを見ていく中で無愛想以前に元が淡々としているというか、戦うための道具として生まれてきたという武器意識の強さ故に感情を最初から持たないようにしている=慣れ合わないなのかなって思いました。
 でも他人の前では自分の感情をあまり吐露しないし後半でも表情を変えないことが多いので、無愛想なことには変わりはないと思いますけどね笑



 以下、本筋とは逸れる大倶利伽羅についてごちゃごちゃ考えていたことです。

 一番気になってたのは大倶利伽羅というキャラクターの性格がどのように形成されていたかなんですけど、あれって公式で正解が出されてないんですね。
 「刀剣乱舞」という作品において、刀剣男士は"刀の擬人化"ではなくあくまで"刀の付喪神"として存在していると思うのですが、その性質が故に刀自身の記憶が「刀の身に起きたこと」ではなく、持ち主の思い、人々が伝承した噂、伝説によって形作られているらしいですね。*4
 山姥切の話についてもそこの設定に基づいて作られてるのかな〜って思います。

 大倶利伽羅は他者と馴れ合おうとしないのか、そこが分からないと、自分の中で一定の解釈を持った上で推しの演技を判断することができないのではって思ったのです、が……まず何故馴れ合わないのか原作の上では明かされてないということを知り……調べても分からず……。刀剣乱舞、難しい……。原作厨の人でこれが一番しっくりくるよ〜ってのがあったら教えてください。
 でも、馴れ合いたくないということは絶対そこに理由があるはずだし、それが今回の「だから馴れ合いたくなかったんだ」のセリフに繋がるはずだと思うので……情を持ってしまったが故に喪う悲しみを知っているってことは読み取れるんですけどね……。
 結局解決できていないので推し本人の解釈も聞きたいところですね。

 あと解釈の話で言うと(脱線してすみません)、これはもう推しの演技の話になってしまうのですが、東京公演の頃は割と語気が強めというか、「こっちだァ!!!!!」みたいな言い方をしていて、公演が始まる前に「大倶利伽羅ボイス集」みたいなのを必死に聞き込んでいたのもあって原作の大倶利伽羅さん……そんなにキレ気味じゃないというか……意外と落ち着いた口調だよね……って初めて解釈の不一致でバンド解散するかと思っていたのですが(?)、大阪の頃にはそういう方向性になっていてやっぱ推しメンだな〜!になりました。そうですか。分かりました。


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 というわけで、みほとせの感想でした。なんかもっと書こうと思っていたことがあった気がするのですが、何せ半年近く前の記事を引っ張ってきているので何も覚えていません。もっと色々書こうとしていたということだけしか覚えていませんでした。
 ミュージカル刀剣乱舞、教養がないとちゃんと楽しめない舞台なのを改めて認識したので、次回公演の際はもう少し歴史の勉強をしたいと思います……。
 あとは尻の強化もしたいですね。前から思っているのですが、二時間以上休憩なしで椅子に縛り付けるのはやや拷問に近いものがあると思います。勘弁してほしいです。



 

*1:センター試験の社会の選択は倫理政経だったのもあって、本当に記憶が無いんですよね。一応二年までは歴史の授業もありましたが、受けた記憶がちゃんとあるのが〜奈良時代辺りまでか満州事変の辺りとかで、安土桃山〜江戸の記憶が無い。刀剣乱舞をちゃんと理解する上で水戸徳川家やら尾張徳川家やら出てきてそれは……なんだっけ……親藩!あ〜!そんなのあったね〜!ってなってたレベル。なので、酒井忠次やら榊原康政やら名前を出されても全くピンときてませんでした。教養が……ない……

*2:もうこれお約束なんですかね?ただ後作のつはものとむすはじはまだ見れてないので、この二つもやってたらウケるな……って思います。少なくともむすはじはフォロワーに早く見ろと言われているので近い内に見ます

*3:あんまり自信がない……

*4:推しが大倶利伽羅役をやるにあたって勉強しなきゃ〜って思い、池田屋をクリアし大倶利伽羅さんを育て修行に出したのですが、極の手紙を読んでいてもそういう設定なんだろうな〜と思いました。