きらきらひかる

きみが好きだよ!

水嶋風斗に会うために私はどうすればいいのか?

 


 少しずつ涼しくなってきて、夜も過ごしやすくなってきた今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 私は全く気分が優れません。



 先日、「Dear my パパ」という舞台が中野ザ・ポケットにて上演されていました。
 以下の文章で内容を紹介したいところですが、千秋楽カテコにて演出の冨田さんが映像配信をやるまでネタバレ注意(禁止……?)(結局どっちか分からなかった)と仰っていたので、重要な展開については触れないようにします。
 しかし、エーステの脚本で有名な亀田さん脚本なだけあって、面白い舞台でした。上記の通り配信をやるそうなので、ぜひ見てほしいところです。



 前置きはこの程度にして。

 「Dear my パパ」の劇中には水嶋風斗という男が出てきます。演じているのは私の推しメンである牧島輝さんです。

 この水嶋風斗くん、友達二人と一緒にYouTuberをやっているのですが*1、責任取るとかそういうのチョ〜〜〜嫌いですぐに他人に責任押し付けるし、元カノのこと顔はフツーw性格ビミョーwって言うし、パチンコするし、覚悟決めるとかそういうの無理っすwっていう、まあ、言っちゃえば現代版クソ男の権化みたいなキャラクターです。



 話の途中までのあらすじを書いていきます。
 男5人でシェアハウスをしているその家の裏口に突然赤ちゃんが置き去りにされていて、流れで平野(演:荒木健太朗さん)が父親代わりになって面倒を見ることになります。
 しかし、その赤ちゃんは1年前に別れた水嶋くんの元カノが水嶋くんに嫌がらせをするために置いていった子ども、つまり水嶋くんの子どもなのでは?あの子の父親は水嶋くん……?という疑惑が出てきて……。

 そんな中、水嶋くんは本当にどうしようもないので、いつまで経っても「俺は親じゃねえから」と認めようとしません。施設に預けた方が……となっても、自分の子どもかもしれないのに「いいんじゃね?俺には関係ねーし」と言い放つ始末。

 ホンッッッッット〜〜〜〜〜にどうしようもないんです。



 と、ここまでボロクソに書いておきながらなんなのですが、そんな水嶋くんがあまりにもかわいくて、どうしようもなくて、人間らしくて、ずるくて、見ている間に好きになりすぎて、

 ここ数日、めちゃくちゃ体調が悪いです。



 何を隠そう私は好きな男がボコボコに殴られたりプライドをへし折られたり恐怖に慄いて絶叫したり泣いて許しを乞うといったようなシーンが大好きなのですが*2、水嶋くん、劇中でボコボコに殴られるしやっと決めた覚悟を踏みにじられるようなシーンもあるので、それだけで条件反射的に「好きーーー!!!サイコーーー!!!」となっていました。これは初日の話です。

 しかし、2日目、3日目……と公演が進むにつれ、どんどん水嶋くんのことを好きになりすぎて、私の初日のあり余るレベルの元気さは徐々に失われていきました。
 公演期間残りあと1日となってしまった3日目なんかは、もう明日で終わって水嶋風斗くんに会えないことを考えたらつらすぎて頭がおかしくなりそうで、水嶋くんの生き様をもう二度と目前にすることができないことに絶望して、全然関係ないシーンでも涙が止まらなくて、本当に、つらくて………………。今でもつらいのですが……………………。



 水嶋くんは、実在しない人間だということを認めるにはあまりにも実在感のある人間でした。
 水嶋くんは中野ザ・ポケットの板の上、幕の向こうの世界ではそのまま地続きで生きていて、公演期間中の4日間だけ、水嶋くんにとっては涼宮ハルヒエンドレスエイトのように、同じ時を繰り返していて、その繰り返される時を私はたまたま目撃していたという解釈をして自分を納得させていて、それを牧島くんも認めてくれてはいる*3けれど、でもやっぱり私の世界と水嶋くんの世界は二度と交わらなくて。
 水嶋くんが生きている様子を目の当たりにすることはもうできないんです。



 二次元のキャラクターにガチ恋をしている友人が、好きなキャラクターが実在していないことに絶望を感じたり、自他の境界が曖昧になっている様子を度々見かけては、難儀だなあ……と他人事のように──実際私は彼女当人ではないため他人で間違ってはいない──眺めていたのですが、いざ自分がそのような立場に置かれてみると本当につらい。
 どうすればいいのかを少しでも考える度に混乱、パニックに陥って脳の機能が停止に向かうし、水嶋くんの生き様の中でも特に大好きで仕方なかった光景を、頭の中で反芻する度に後頭部がショートしているかのように熱を帯びた感覚を持ち、回路がぶっ壊れてしまうので反射的に涙が出てきそうになる。
 本当に私はどうすれば……?



 仕方ないので、公演が終わってからというものの、水嶋風斗くんの「存在しない話」を脳みその中で大量に生み出して"喪失感"的なものを埋め合わせようとしています。かわいそうな人間ですね。
 何がって、なんとなく二次創作的な扱いを受けそうだから公にするとまずいんだろうなっていう脳みそはギリギリ働いてるので、表沙汰にしないように(?)気を付けてはいるのですが、そのせいでほとんど私しか理解者がおらず、結局私の中だけでの慰め合いでしかなく、何かを得られるわけではないのがまたつらい。
 一体私が何をしたというのですか?ただ舞台を見ただけなんですが……?



 それにしても、本当にこういう男が実在してるんだって思わせるように、水嶋風斗というキャラクターを演じ切った推しメンの牧島くんはやっぱりすごい。*4

 千秋楽カテコで彼は「幕の向こうではまだ水嶋たちは生き続ける」ということを話していました。
 幕が降りた後のことまで想像力を働かせて、しかもそれをお芝居に乗せられるだけの表現力を持っているんだから、そりゃああの板の上には牧島輝のようで全く牧島輝ではない人間が、水嶋風斗しか立っていない。牧島くんってすごい。

 だからこそ、私は水嶋風斗くんに狂ってしまったし、情緒が完全にイカれてしまったんですよね。
 世界一理不尽な要求をしている自覚はあるのですが、推しメンには責任を取ってほしいところです。ひとまずやりすぎチャンネル*5を隔週で更新してほしい。そもそもやりすぎチャンネルをこの世に開設するところから始めてほしい…………。





 とりあえず文章に吐き出すだけでもしたら少しは楽になるかもしれないと思って、今回の記事を書きました。
 結果大して楽にはなりませんでしたが(……)、「Dear my パパ」の宣伝にはなる……なるかな……。ならないか……。
 でも、私が勝手に水嶋風斗という男のせいでつらくなってるだけなので……。
 普通に見る分には親になることってどういうことだろうってことを考えさせられる、心が温まるいいお話だし、劇中の曲も良いし、冒頭にも書いた通り面白い舞台なので、配信の際にはぜひ見てほしいです。私は友人には自腹切ってでもして見せます。



 最後にこれだけは注記しておきたいのですが、私は推しメンのリアコではないのでそこの争い(?)には参加しません。
 水嶋くんに関してのみお願いしたいです……。

 (注記するところ……そこ…………?)



 
 
 





 

*1:この時点で既に世間一般的にまともな人間ではない

*2:性癖が捻れ曲がりすぎてドン引かれそうですが、私がこうなってしまったのはドラマ「ザ・クイズショウ」(2009年)「魔王」(2008年)「家族ゲーム」(2012年)の影響がかなり大きいので、主に櫻井翔さんのせいです。

*3:……と私は勝手に解釈しました。違ったら申し訳ない。

*4:すごいからこそ、また私の中で私が推してた人はこんなにすごかったのか……という、また別の、絶望に似た何かを感じていましたが……。それは今回の記事で書きたいこととまた逸れるのでやめます。

*5:水嶋くんがやってるYouTubeのチャンネル名。底辺YouTuberの香りがしてとても良い。

君はミュージカル刀剣乱舞「鼓動」PVを見たか

 見ましたか?

 今日9月4日に、今年の3月末まで上演されていたミュージカル『刀剣乱舞』三百年の子守唄再演のシングルとなる、「鼓動」のCDが発売されました。

 いつも刀ミュのシングルCDはご丁寧にPVを作っていらっしゃって、*1今回も例に漏れずPVがあるのですが。

 ですが。



 今回のPVも、Youtubeにショートバージョンの動画がアップロードされています。



youtu.be



 発売日前に先行で既に配信されていて、私も公開日に早速見たわけです。
 初演のみほとせのPV「勝利の凱歌」はちょっとしたストーリーがあって、公演本編を見ていた人なら「そういうことね」になれるみたいな、そういう感じでした。砂丘でロケもしていましたね。
 なので今回はどうなるかな〜と思って見たら、思いの外あっさりとしていて、背景もこれは……CGですね。というテイストで、まあ特に面白みがあるわけでもない感じか……と思っていました。推しが出ているPVに対して面白みがないというコメント、不敬罪か何かで怒られそうですね。

 別に面白くないわけじゃないんですよ。
 AメロBメロで背景に文字が踊ってるのとかボカロのPV?になるし、何より直立不動で熱い感じの歌詞を歌っているのがじわじわきます。私だけかもしれませんが。
 でもどう考えても"これは別に笑わせるために作っているわけではない"というのは不敬罪の具現化みたいな私でも分かります。*2恐らくカッコよくしたかったんでしょう。
 それに、「勝利の凱歌」の面白さってinteresting寄りだったのに対してこの感想は明らかにfunny寄りなので、interestingさで言えば……と思ったわけです。



 と、ここまではショートバージョンの感想です。
 問題はフルですよ。

 フルバージョンになると2番以降が収録されていることになるのですが……。



 もう……何?



 豪華絢爛(風)!ギラギラ金箔紙吹雪が舞うCGをバックに歌う各キャラクター達!

 突然炎に囲まれた状態で踊り狂う刀剣男士達!

 炎!

 炎!

 炎!!

 炎!!!

 爆発!!!!!




 ……もう…………何?





 先日家でHey! Say! JUMPのコンサートDVDを見ていたのですが、とある曲のアウトロのデン!デン!デン!デン!デン!に合わせて特効がドン!ドン!ドン!ドン!ドカーン!!!\キャーーー!/ってなった時も、

 馬鹿だな……

と思ったのですが、その時を思い出すレベルで

 馬鹿だな……

と、思いました。



 PVの監督、炎使っときゃすげえ映像になるぜ!とか、爆発を背景にする男達のシルエット、全人類好きだろ!みたいな脳直思考で作ったのかな……。もう年末年始のガキ使じゃん。
 ショートバージョンだと大人しめなくせに、2番になると突然燃え盛り始めるの本当に意味が分からなくてビックリしました。なんで?
 Cメロで一回鎮火するのもツボですね。

 11月末からは歌合乱舞狂乱が始まりますが(これも本当に脳死タイトルで無事か?って思っています)、この曲をやる際には絶対さいたまスーパーアリーナでジャニーズのコンサートばりに炎をゴリゴリに噴出しまくって、ドカーン!と特効を打ち上げてほしいものです。というかそうじゃなきゃなんでこんなPVにしたのか分からなくないか?

 炎爆発シーン以外も、豪華絢爛風CGのカット、地面が存在……これは……してる……?になるような映像で、この人達浮きながら平然と歌ってる……と不安になります。いやでも人じゃなくて刀剣男士だからなんでもアリなのか?



 大人しめのPVかと思いきやフルで突然気が狂い始めるので、もう……なんで外に出す用は大人しくしといたくせに……と戸惑いが隠し切れないし、PV監督及びネルケプランニングは一体どうしたんだと心配になるPVでした。

 まあこんだけ書いたとはいえ、私は爆発させたら勝ち脳直思考、超好きなんですけどね。



 フルバージョンのPVを見たい方は、DVD付きCDの方は予約限定盤のため手に入るか分からないので、公式ホームページの有料会員で確認してみてください。
 月額324円なので、爆発映像フリークの方はぜひ。






*1:なお幕末天狼傳は公演ダイジェスト映像みたいな仕上がりなのですが、解せない。「ユメひとつ」名曲なのに……何故?

*2:当たり前です

いまさらみほとせかんそうぶん


 タイトル、ひらがなまみれだと小学生レベルの感想しか書いてなさそうですよね。期待値を下げることを狙っています。

※注意してほしいのですが、以下の文章はみほとせ再演後の4月頃に書いて眠らせていたのを引っ張ってなんとか最後まで書き切ったやつなので、当時の考えと多少思想の差が生じていたり、もう何もかも忘れていたり、そもそもネタが古いという問題が発生しまくっています。あらかじめご了承下さい。



 遅くなりましたが、ミュージカル『刀剣乱舞』〜三百年の子守唄〜、全公演お疲れ様でした。

 当初考えていたこれだけは最低行くかな……って数よりは多く行けたので、まあ頑張ったということにします。私よりももっと頑張ってる人もいたとは思いますけど、そんなの私が頑張ったと思ったら頑張ったんだよ!ってことでここはひとつ。途中体力的にも精神的にも疲れちゃってどうなることかと思ったんですけどね……。無事終えられて良かったです。



 さて、今回は大倶利伽羅を中心にみほとせの感想を書こうと思います。
 とはいえ私はバリバリ理系かつ国語全般苦手で、学生時代登場人物の気持ちを100字以内で記述せよ系は知らねーーー!!!って無記入ガン無視決めこんでたタイプの人間なので、考えが浅いとかこんなものか……って思っても優しくしてあげてください。文脈とかよく分からないので……あと歴史の知識もないので……。*1
 あと私は初演を見ずに再演を観に行っていたので(凱旋前に一応映像は確認しましたが……)、再演で初めてみほとせを見た人の感想だということを念頭に置いてくれると嬉しいです。


 一番に思ったのは、「家康↔信康」と「石切丸↔大倶利伽羅」は同じ構造なのかなって点です。
 みほとせのストーリーの中で、家康と石切丸は戦をなくすために戦っている、もちろん戦うこと自体は好きではないという点が、信康と大倶利伽羅は吾兵が亡くなることによって戦う意味を考えさせられる点が共通です。
 ただ信康と大倶利伽羅で大きく違ってくるのは、その吾兵を失うという分岐で大倶利伽羅は戦のない世のために戦うことを選んだけど、信康は刀を握れなくなってしまうんですよね。
 大倶利伽羅は全ての戦を終えるまでは花は供えない、と言っていたけれど、逆に言えばもしここで花を供えてしまったら彼は戦えなくなってしまうことも意味するとも取れる。「俺には俺の戦い方がある」というセリフからも大倶利伽羅は戦う時に感情を背負わない姿勢を取ることが分かるけど、つまり花を供える行為は祈りを捧げてしまう=石切丸と同様に思いを背負ってしまうことを意味するのかなって思いました。
 そう考えると、信康はあのシーンで吾兵に手を合わせてしまっていて、かつ戦えなくなる、刀を握れなくなっているので、やっぱり信康と大倶利伽羅は戦いに関しては本質的には一緒なのでは……みたいな。石切丸に関しても、家康のどんな気持ちで戦ってると思ってるんだってセリフはみほとせの石切丸にしっくりくるなって個人的には思うので、この構造はできあがってると思ってもおかしくないのかな……と。

 ただ、文盲すぎて上にも出した大倶利伽羅の「俺には俺の戦い方がある」というセリフを完全に理解し切れなかったのが悔いなので、誰か噛み砕いて教えてくれると助かります……。
 石切丸のように出会ってきた人全てに祈りを捧げ、思いを背負って戦うことはできない、感情を排除することで俺は戦える(→だから全ての戦いを終えるまでは花は供えない)ってところまでは読めるんですけど、そのセリフが終盤の大倶利伽羅にどういう風に繋がってるのかが上手く汲み取りきれなかったんですよね……多分大事なセリフなので繋がってるとは思うんですけど、もう一度言いますが文盲なので……。(下手すると一番重要な話なのでは?)



 あと、一応元推しの影響でトライアル、阿津賀志山異聞初演、幕末天狼傅は見ていたのですが、刀同士でいざこざがあったら手合わせをするのはお決まりなんですね。*2
 このシーン、大倶利伽羅のことしか考えずに見ていたので軽い重いって何……石切丸のことだから含蓄のあること言ってたりするのかな……とか思っていたのですが、単に自分だけが精神的な面で重荷を背負って戦っていて、大倶利伽羅は背負うものがないことに対する八つ当たりではみたいな話を聞いて、あ〜なるほど……と思いつつもなんだよ!!!になりました笑
 そう考えると二度目の手合わせは大倶利伽羅が石切丸に歩み寄ってるシーンになるわけですね……大倶利伽羅……いい子じゃん…………。
 それにしても、感情は要らないと割り切って戦ってるような人(刀?)に感情を背負わせるように仕向ける石切丸さん、なかなかに鬼畜では?もちろんそれによって大倶利伽羅も気付くこと、成長したことはたくさんあると思いますが。



 最後のシーンなんかも、徳川の一生の60年余りに大倶利伽羅榊原康政として寄り添わなければ生じないシーンですしね。
 個人的にあのシーン、凱旋辺りから「笑う」という自分らしくない行動をしたことに対するはっとした顔じゃなくて、自分に「笑う」という行為に至るまでの感情が発生したことに対するはっとした顔に見えたのですが、どうでしょう。*3
 戦は怖いかどうか尋ねられた時にYesかNoかではなく、「分からない」と答えていた大倶利伽羅に、石切丸が綴った三百年の子守唄という話の中で色んな感情が芽生え、持つようになったことが示唆されてるのかな〜……なんて思いました。
 そもそも最初、大倶利伽羅はただ無愛想なキャラだと思っていたのですが、みほとせのストーリーを見ていく中で無愛想以前に元が淡々としているというか、戦うための道具として生まれてきたという武器意識の強さ故に感情を最初から持たないようにしている=慣れ合わないなのかなって思いました。
 でも他人の前では自分の感情をあまり吐露しないし後半でも表情を変えないことが多いので、無愛想なことには変わりはないと思いますけどね笑



 以下、本筋とは逸れる大倶利伽羅についてごちゃごちゃ考えていたことです。

 一番気になってたのは大倶利伽羅というキャラクターの性格がどのように形成されていたかなんですけど、あれって公式で正解が出されてないんですね。
 「刀剣乱舞」という作品において、刀剣男士は"刀の擬人化"ではなくあくまで"刀の付喪神"として存在していると思うのですが、その性質が故に刀自身の記憶が「刀の身に起きたこと」ではなく、持ち主の思い、人々が伝承した噂、伝説によって形作られているらしいですね。*4
 山姥切の話についてもそこの設定に基づいて作られてるのかな〜って思います。

 大倶利伽羅は他者と馴れ合おうとしないのか、そこが分からないと、自分の中で一定の解釈を持った上で推しの演技を判断することができないのではって思ったのです、が……まず何故馴れ合わないのか原作の上では明かされてないということを知り……調べても分からず……。刀剣乱舞、難しい……。原作厨の人でこれが一番しっくりくるよ〜ってのがあったら教えてください。
 でも、馴れ合いたくないということは絶対そこに理由があるはずだし、それが今回の「だから馴れ合いたくなかったんだ」のセリフに繋がるはずだと思うので……情を持ってしまったが故に喪う悲しみを知っているってことは読み取れるんですけどね……。
 結局解決できていないので推し本人の解釈も聞きたいところですね。

 あと解釈の話で言うと(脱線してすみません)、これはもう推しの演技の話になってしまうのですが、東京公演の頃は割と語気が強めというか、「こっちだァ!!!!!」みたいな言い方をしていて、公演が始まる前に「大倶利伽羅ボイス集」みたいなのを必死に聞き込んでいたのもあって原作の大倶利伽羅さん……そんなにキレ気味じゃないというか……意外と落ち着いた口調だよね……って初めて解釈の不一致でバンド解散するかと思っていたのですが(?)、大阪の頃にはそういう方向性になっていてやっぱ推しメンだな〜!になりました。そうですか。分かりました。


          • -

 というわけで、みほとせの感想でした。なんかもっと書こうと思っていたことがあった気がするのですが、何せ半年近く前の記事を引っ張ってきているので何も覚えていません。もっと色々書こうとしていたということだけしか覚えていませんでした。
 ミュージカル刀剣乱舞、教養がないとちゃんと楽しめない舞台なのを改めて認識したので、次回公演の際はもう少し歴史の勉強をしたいと思います……。
 あとは尻の強化もしたいですね。前から思っているのですが、二時間以上休憩なしで椅子に縛り付けるのはやや拷問に近いものがあると思います。勘弁してほしいです。



 

*1:センター試験の社会の選択は倫理政経だったのもあって、本当に記憶が無いんですよね。一応二年までは歴史の授業もありましたが、受けた記憶がちゃんとあるのが〜奈良時代辺りまでか満州事変の辺りとかで、安土桃山〜江戸の記憶が無い。刀剣乱舞をちゃんと理解する上で水戸徳川家やら尾張徳川家やら出てきてそれは……なんだっけ……親藩!あ〜!そんなのあったね〜!ってなってたレベル。なので、酒井忠次やら榊原康政やら名前を出されても全くピンときてませんでした。教養が……ない……

*2:もうこれお約束なんですかね?ただ後作のつはものとむすはじはまだ見れてないので、この二つもやってたらウケるな……って思います。少なくともむすはじはフォロワーに早く見ろと言われているので近い内に見ます

*3:あんまり自信がない……

*4:推しが大倶利伽羅役をやるにあたって勉強しなきゃ〜って思い、池田屋をクリアし大倶利伽羅さんを育て修行に出したのですが、極の手紙を読んでいてもそういう設定なんだろうな〜と思いました。

手紙と私と俳優と

 

 前回の記事書いてからだいぶ経ってるしそろそろまた書こうかな〜と思ったら、前回からもう半年以上経っていました。年二回更新ブログかもしれない。すまない。もうちょっと頑張ります。

 

 さて、今回は手紙について書こうと思います。*1

 

 皆さんは推しに手紙を書きますか?

 私はというと、半年くらい前までは数の調整をする以外は観に行った日は絶対出す勢いで手紙を書いていました。今はちょっとサボっています。当ブログの更新頻度からも察することができる通り、元はと言えば筆不精なんです。すまない。

 

 毎日のように手紙を出していた頃はマジで必死に内容を捻出して書いていたのですが、気持ち的には出席確認カードみたいな感覚でした。

 ただ推しメンは手紙は舞台終わりにまとめて受け取るタイプなのでアレなんですけどね。一気に15通くらい読まなきゃいけない時とかざらにあったと思うと大変どころの騒ぎじゃなさそう。すまない。

 

 

 

 さて、突然話を変えますが、先日フォロワー内で「同人作家に贈るプレゼントは何が良いか」という話をしていました。話の変わり方えげつなくてすまない。

 私たちは所詮若手俳優厨の集まりなので、「デパコス的な……?」とか「安くても良いならホットアイマスク的な消耗品とか……」という意見が出たのですが、世間一般的には「500円以内のお菓子」が多いらしいです。マジか。若手俳優なら絶対ゴミプレって叩かれる。(そもそも飲食物は渡せないことが多いのですが……)

 とあるサイトには「分かりやすく高いお菓子は気が引けるのでやめた方がいいかも」的な内容が書いてあるのにも関わらず、「500円以内のデパ地下のお菓子はオススメ♩」というようなことも書いてあって何を言っている?になりました。デパ地下のお菓子って500円以内で買えるんだ……

 とはいえ、確かに高校時代の友人で同人活動をしていて知らない内に割と大手になっていた子がいるのですが、その子も差し入れでめちゃめちゃ大量にお菓子(カントリーマアムとか……キットカットとか……)を貰っていたので、それが相場なんだろうなあとも思います。同人作家のオタク(?)、コスパ良さそう。

 

 そんな中、色々なサイトにあった「結局一番貰って嬉しいのは感想が丁寧に書いてある手紙」という文面についての話になりました。

 心が荒んだ若手俳優厨の集まりなので、「いやいやw綺麗事はよしてくれw」みたいになったのですが、冷静に考えて確かに感想って嬉しいんですよね。

 

 例えば高めのプレゼントを貰ったとして、ヤベー!超嬉しい!!!とはなるけど、いや当たり前にすごい喜ぶと思うんだけど、それが創作のモチベーションに直結するかというとまたちょっと違うというか、「書いてよかった~!」や「プレゼント貰ったからまた新しい作品書こ~っと」にはならない気がするんですよね。いや、なるっちゃなるけど。多分「同人作家(創作者)になって良かった~!」が一番大きくなる気がする。

 

 感想の方が、「ここ褒めてくれるの嬉しい」とか、「自分が生み出したもので喜んでくれるなんて……」という感動が生まれるので、素直に創作のモチベーションに繋がる気がします。あくまで個人的な感想ですが。作り手側の立場になって考えてみると、この人が喜んでくれるからまた次の作品を書こう!って気持ちにさせてくれる気がするんですよね。

 

 プレゼントだと気持ち的に負担になるし持って帰るのが大変だし……というのもあるかもしれませんが、シンプルに創作活動を続けようというモチベーション維持的な意味では、プレゼントよりも感想だったり、普通に本を買ってくれるだけでも嬉しいだろうな……と思い至りました。

 

 

 

 話を手紙の話に戻します。

 言ってみれば若手俳優は同人作家でいうところの小説や漫画などの創作物が演技に当てはまるわけで、そう考えると「手紙を貰って嬉しくない若手俳優はいない」論もあながち間違ってないと思うわけです。

 来てくれるのが一番嬉しい、手紙だけでも嬉しいと若手俳優達はよく言いますが、綺麗事とかでなく事実なのかもしれません。綺麗事とか言ってすまない。

 

 逆に言えば手紙読まない若手俳優って何なんだ……という気持ちにもなるわけで、感想貰ったらヤベーーー嬉しーーーになるタイプの私としてはどういう心理なのか気になります。まあ手紙で延々と自分語りされてたら知らんがなになるかもしれないけど(それはそう)、自分の演技について超褒められてたら絶対読みたいもんね。

 もちろん手紙が毎日二桁以上来るような大人気俳優様になってくると読むのが大変だと思うので話は変わってきそうですが、そんな俳優は数が限られていると思うので、一般的にはちゃんと感想が書いてある手紙を貰って嬉しくない若手俳優はいないだろうな~って思った、という話です。

 推しのモチベーションのためにも、ちゃんと手紙は書いていきたいですね。

 

 

 

 まあ私の推しメンはもう手紙を毎日二桁貰っている大人気若手俳優様になってそうな気もするのですが……

 

 

 

*1:これ後で気付いたんですけど、前回の記事もある意味手紙の話をしていました。記憶障害なので忘れていた。すまない。

インプット/アウトプットのススメ

 誰もが昔、読書感想文を書いたと思います。
 もちろん私も昔は読書感想文を書いていた小学生の内の一人でしたが、当時は本当に読書感想文を書くのが嫌いで、誰が私なんぞの感想文に興味があるんだとか、主人公に共感したところ?重ね合わせられるところ?ないわ!なんでこんなもん書かせられてるんだ?とよく思っていました。
 まあ、正直10年前の私は今よりよっぽど真面目で臆病だったので、先生に怒られないような文章を、テンプレートに沿った文章を書かなければいけないというプレッシャーの下読書感想文を書こうとしていて、今思えばそれは書けるものも書けないよなあと思います。

 あれから10年経って、私も何を間違えたのかだいぶテキトーな人間に育ち、小六の時将来の夢は学者と答えていたのに何故か美術の道に進み、やりたい放題のパッパラパーになってしまいました。
 そんなパッパラパーになった今、なんで昔私たちは読書感想文を書かされていたのかなあと考えると、自ら「何か」に対して向き合い、そしてそこから出てきた感情や考え、疑問をきちんと文字に起こす練習をさせられてたんだろうな、と感じます。
 要するにインプットとアウトプットの練習です。
 当時の私がそれを理解していたらもっと気楽に読書感想文も書けたのでは、と思いつつ、その作業が大切だと実感するようになったのは高校辺りからなので、こういう理由で読書感想文は書かされているんですよ、と伝えたところで「いや分からんわ」になる気もしますが。





 何かを見る・聞く・触ることで自分の中に発生した感情・考えに対して向き合うことは大切です。
 向き合うことで己の中身を充実させることができるからです。


 例えばあるものを見て、大意としては悲しいだけど悲しいの一言で表すには少し違う、得も言われぬ感情を得たとします。
 この感情は何なのか、もやもやさせたまま放っておくこともできます。
 でも、しっかりこのもやもやに向き合って、辞書などで言葉をたくさん調べていくことで、今自分の中にある感情にぴったり当てはまる言葉を見つけられるかもしれません。
 この感情は「悲しい」の中でも「寂寥感」なのか、のように。
 この過程を踏むことで、私たちは実感として「言葉」を得ることができる。



 別の例を挙げます。
 何かを見て、とても面白いと感じたとします。
その面白いという感想を、ただ面白かったなあと通り過ぎることもできます。
 でも、そこから「これは何故面白いと感じるのか?」と掘り下げることもできます。
 こういうロジックがあるからでは、こういう表現を用いているからでは、あれこれ考えること。いわゆる「考察」の過程です。

 考察をし、それを言葉にしていくこと。
 意外と難しい作業です。
 何故なら散らばっている自分の考えを拾い集め、それらを脳内言語から共通言語(日本語や英語のようなLanguageのこと)に変換し、かつまとまった文章へ仕上げていかなければいけないからです。
 普段から鍛えられている人、慣れている人はこの変換・まとめ作業を難なくこなすのかもしれませんが、私はあまり得意ではないため結構なリソースを割いてしまいます。
 Twitterのように短文に起こす分にはまだ簡単ですが、こういうブログのようなものになると本当に難しい。
 言ってみればレポート、論文だってその類であり、それらを書いた経験のある人はなんとなくその感覚は分かるのではないでしょうか。

 また、考察をしてそれを言葉に起こしていくことは、自分の思考力を上げるだけでなく、他人への説得力を増すことにも繋がると思います。
 なぜなら、ただ「面白い」と言われるよりも「こういう理由で面白い」と言われた方が、他人は理解しやすいからです。

 これはポジティブなものだけでなく、ネガティブなものもやっていった方がいいと私は思います。
 そこから解決策が生まれるかもしれないし、他人からも逆に興味を持ってもらえるかもしれないからです。
 Twitter等でも、ただつまんないとだけ言われている映画よりもボロクソにここが酷い、あれも酷いと理由を列挙して叩かれてる映画の方が「逆に見てみたいな……」となりませんか?私はなります。





 さて。

 私は今若手俳優のおたくをしているわけですが、舞台を観ること、そしてその感想を文字に起こすこと、それが私の主なインプット/アウトプット作業のワーキングスペースになると思います。
 毎度毎度こうしてブログのような媒体に感想を書くべきだなあとは思うもののそこまで至ることはできていませんが*1、その代わり推しへの手紙がアウトプットの場になっています。

 手紙を書くためには作品をただ観るだけでなく、考えながら観なければいけない。そりゃあここがカッコよかった!好きだった!だけの手紙だったらそこまで考えずとも書けるかもしれないけれど、せっかく大金を叩いて観に行ってるのだから、全編は無理だとしてもワンポイントでもいいから真剣に向き合っていった方がいいんじゃないかと、そう思います。*2
 そもそも向こうも表現者なのだから、舞台上で何かを表現しているわけで、その表現をこちらも汲み取るために向き合って考えることが敬意にあたるのではないでしょうか。
 私は一時期デッサンの講習を受けていたことがあるのですが、質感を表すためのタッチがこういう理由でいいね、と言われた時はそう!そうなの!と嬉しかったのを覚えています。
 あくまで勝手な想像で当てはまらない人もいるのかもしれませんが、自らの表現を具体的に褒められて嬉しくない表現者はいないと思います。それが意図しないところであったとしても、そういう視点があったのかと糧になりますし。

 逆に、「虚無」と言われる作品に何故虚無なのかをつらつらと並べたてるのも大切かと思います。次なる虚無を生み出す予防になるからです。
 批判をしないことで駄作と呼ばれる作品が蔓延していくくらいなら、きちんと向き合ってここがダメだあれがダメだと言葉にしていった方がいいです。無駄にお金を払ってしまったと後悔することが減るかもしれません。
 そこの辺りの労力をきちんとかけていくことでつまらない作品に当たらず、楽しい・面白い作品に出逢える確率が上がっていくと信じているからこそ、何がダメなのかを言葉にしていくのです。
 収益を望まない舞台は話が別ですが、大抵の舞台は収益を望んでいるはずで、収益を得るためには「面白い」「また観たい」「人にも勧めたい」舞台を作り手は意識するはずです。何故つまらないと思うのか、ダメだと思うのか、その批判に晒されないと作り手側もいつまでも面白い作品を作ることができず、収益にありつけません。
 理不尽な批判は私もよくないとは思いますが、真っ当な理由ありきの批判はあって然るべきです。





 と、昨日の夜から考えてたことをだらだらと書き留めました。一回まとめて吐き出さないと頭の中に留めておくには情報量が多すぎたので……。久し振りにこういう文章を書いたのでだいぶ疲れましたね。
 まとめるとインプット/アウトプット作業は自分のためにも他人のためにもなるから実践していった方がいいよ、ということです。好きなことも嫌いなことも、理由付きのまとまった言葉にすればよっぽど頭の固い人間でなければ理解はしてくれると思うので。その上の納得にまで至るかどうかは別問題ですが……人それぞれで思想の違いはありますしね。

 以上インプット/アウトプット作業の勧めでした。
 無事書き終えたので私は今やってる舞台にちゃんと向き合います…………。

*1:思考力の鍛錬という意味では毎回やるべきだとは思っています……前回の記事の冒頭でも書いた通り筆不精のためなかなかできない……

*2:まあ、頭空っぽにして観たい!って作品もあるとは思うので、そこの辺りは上手く折り合いをつけましょう……。

八王子ゾンビーズについて

 今話題の(?)八王子ゾンビーズについての感想文です。このタイミングで書かないと多分一生書かないので書きました。推しの手紙以外究極の筆不精なので…………。


 まあ正直に言って、初見では私の肌に合わなかった。なんというか、面白いでしょこれ!みたいな感じでやってきてるけど、いや、面白いとは思わないです……すみません……っていうのが大体尺として一時間程度、みたいな感じでした。ごめんなさい。*1
 とはいえ、回数を重ねるごとに役者さんたちがアドリブを増やしていくことによって面白くなってきているなという印象です。ここは冗長だな……というくだりがなくなったりして、きっと色々話し合いを重ねて良いものにしていこうという努力があるんだろうなあっていうのが垣間見えます。役者って仕事は大変というか、難しい職業ですね。



 というわけでアドリブパートは(下ネタもまあちょいちょい多いものの)面白くなってきているのですが、どうも脚本に疑問点が残る。
 ブス弄りが酷いとか書かれた記事もありましたが、個人的に一番の疑問点は「楓と母親の関係」。これに尽きます。みんな泣いてるけど、えっちょっと待って!?って初見で思ったので多分おかしい。話の流れを思い出しながら楓の発言を聞いてほしい。





※以下ネタバレしかないので気にする方はこの記事読まない方がいいです!










 楓が母親を恨んでない、というのは別に構わない。ただ、何故「僕の方こそごめん」「産んでくれてありがとう」という発言に繋がるのかっていうのが個人的に謎なんです。
 だっておかしくないですか?楓の母親は息子に興味を持たず薬にハマってることすら知らなくて、そんな楓を仁さんは心配してくれたと、楓本人が回想パートで語っている。しかしそんな仁さんを母親は薬漬けにした犯人だと断定した挙句、孔明住職と組み仁さん達八王子ゾンビーズを殺し、永遠の苦しみを与えている。そんな彼らを見て楓は成仏できていない。
 なのに、母親に対して「僕の方こそごめん」「産んでくれてありがとう」と発言する理由が私には分からない。恨まないまでなら分かる、しかしその発言に唐突に繋がるわけなくないですか?難しい……。

 二日目は友人と観に行ったのですが、観劇後「何故楓はそう発言したのか?」という議論を行いました。
 そこで小一時間語って苦肉の策レベルで出た案が「せっかく産んでくれたのに親の期待にも応えられなかった上に、薬物中毒という親不孝な理由で死んでしまってごめんなさい」ということなのかもしれない……という案でした。でも、それって八王子ゾンビーズの面々のこと全く考慮に入ってなくない?
 二時間という短い時間の中で色々収めようとしたら省略しなきゃならない部分も多いと思います。しかし、「確かにお母さんはこういうことをした、不倫をして僕を放置した、でも、」という前置きくらいは設けてもいいんじゃない?と思うのです。
 楓と母親のストーリーってこの「八王子ゾンビーズ」の話における核だと思うし、そこのストーリーをしっかりさせないと話全体の説得力が落ちると思うんですよね。でもそこで全然納得ができないから、私も毎回そこでえ〜……なんで……って顔をしながら見ることになる。正直そこのシーン、途中から考えたらダメだな……って思って別のこと考えてるレベルです。もしこのシーンに対して納得のいく解釈がある人がいるなら私に教えてください。(まあでも、そもそも客に対してそう思わせない脚本を最初から作れって話ではあるのですが……)



 あと脚本……というかどちらかと言うとこれは演出の問題ですが、気になるのは主演に長々と説明ゼリフを言わせがちだなあと。
 いや、最初の一人語りはプロローグとしての演出なのでそこはいいんですけど、合間合間に挟まる羽吹の「こうして俺は墓に向かった」みたいなセリフがどうにも、これって説明ゼリフじゃなくできなかったのかな……と思ったり思わなかったり。
 これに関しては個人の好みによるかなって範囲ですけど、何でこれが引っ掛かるかって先月まで上演されていたエーステでのセリフが頭をよぎるからなんです。

 エーステでは冒頭で咲也がMANKAI劇場について下手な演技で説明する舞台を披露します。それに対して左京さんは突然現れ、苦言を呈します。
「長々とした説明ゼリフ。つまらない脚本にありがちのパターンだ」

 このセリフを言う左京さんを演じる方は今回の八王子ゾンビーズにも出演しています。もう正直、「これはなんの皮肉なんだ……?」という気持ちにならざるを得ない。いやエーステが先だったから「エーステ内のセリフが八王子ゾンビーズの内容を後からディスる」みたいな構図にならなくて済んだのは良かったのかもしれない。良くはないか。
 ともかく、舞台なら説明ゼリフに依存しない脚本にしてほしいなっていうことが言いたい。これは上にも出てきた友人とも話していたことなんですが、この八王子ゾンビーズ、舞台作品にもコントにも、なんなら応援上演というコンテンツにしても、なんだか振り切れてなくて、中途半端な印象を与えてしまっているんですよね。二兎を追う者は一兎をも得ずみたいな。アドリブパートをブラッシュアップすることで、なんとか舞台とコントのメリハリは少し効いてきたかなって気はしますけどね。



 あと応援上演の話にも触れておくと、こういう演出って結局客依存なわけじゃないですか。映画とかの応援上映はそもそも映画自体が応援上映されないこと前提で作られているもののはずですが、今回の舞台や昨今の2.5次元舞台のライブパートって客の反応ありきで作られていると思います。
 ライブパートも嫌いってわけじゃなくて、私も元はジャニーズなどのアイドルが好きだったので客席でキンブレ振ったり声出したりするのはどちらかと言えば好きな方です。でも、ライブパートって客に向かって声出してって煽ったりしやすいですよね?今回の八王子ゾンビーズ、応援上演パートは声出してOKということになっていますが、正直海に合わせてゾンビの名前を呼んでみよう!ってくだり以外声を出す難易度が高い。もちろん曲中に名前を呼ぶ人もいますが、体感としてはほんの一部レベル。私も推しゾンビの名前を大きな声で呼びたいものの、あんまりそのタイミングが見当たらないんですよね。正直応援上演パート、オペラグラス構えたりしながらタンバリンシャンシャンしてる以外あまりできてないです。
 そんな中途半端な盛り上がり方しかできないんだったらわざわざ「応援上演」と銘打たなくてもいいのでは……って気がするし、そもそももし公演を重ねることで客側が面白いレスポンスを持ってくるだろうという期待を作り手側が少しでも抱いてるのだとしたら、こちらとしてもあまりいい気分にはならないです。
 大体、刀ミュやテニミュドリライに足を運んだこともありますが、あれって声を出す環境が十分に整った上で面白いレスポンスができてるように思うので、上記の通り声を出しやすいとは言えない環境でそれを求められても……と私は思います。



 と、長いこと文句タラタラみたいな文を書きましたが、脚本演出に関して思うことがある以外は楽しんでいます。ダンスシーンや殺陣は見応えがありますし。
 何より、あまりバックグラウンドが語られてない仁さん以外のゾンビの役者たちが演技の中で個性を出しているのが見ていて面白いです。楽しく演じているんだろうなっていうのも伝わってきます。
 また主演の方も、私はLDH関連はとんと興味が無い人種なんですがすごくいい人なんだろうな……っていうのは舞台上から伝わってきました(笑)ダンスも流石というレベルで上手いですしね。

 結論としては、八王子ゾンビーズ、良く言えば役者の努力が分かる舞台、悪く言えば脚本演出が…………って舞台という評価です。
 本当にすごく好みが分かれると思うので、怖いもの見たさで見たい人は是非。*2

 あと、これは重要なことなんですけど、今回の件もあってやっぱり推しは鈴………むに関わらないでほしいです!ホストちゃんだけは嫌!!!!!





 

*1:この辺りについて触れているブログが拡散されているそうなので、そちらを参照にしてください。私も読みましたが、それはそう……としか言いようがなかったです。仕方ない。

*2:ゾンビだけに