ゆうぴこと髙橋優斗くんが事務所を辞めて、一ヶ月半近くが経とうとしている。
新しい夢に向かって爆走していくと宣言して事務所を去った彼だが、思ったよりも早く、25歳の誕生日である11/15に次の夢を教えてくれるらしい。
お待たせしてすみませんみたいなことを言っていたが、いやそんなにお待たせはしてないかも。数ヶ月はヤキモキするかなと思ってたし。なんなら彼の古巣である事務所の方がちんたらしていて、早く年明けの有明の情報全部出せや💢といった様子だ。なんやねん出演者不明って。
本音はともあれ、新しい夢のためにアイドルを辞めて現状一般人のゆうぴだが、その実感はあまりない。
ゆうぴは、本当にアイドルを辞めてしまったのだろうか。
そもそも、アイドルとはなんなのだろうか。
色々考えることがあったので、現時点の私の考えを一旦記しておくことにする。
もしかすると明日には考えが変わるかもしれないけど、こういうことを考えていた時があったという記録だと思って読んでもらえたら幸いです。
めちゃくちゃ長いけど。
マジで長いけど。
1.そもそもアイドルとはなんなのか
先日、友人の招待で三宅健のライブに行った。
三宅さんはアイドルに対する思想が強い方(と話を聞いている)で、ジャニーズ時代にソロで「“悲しいほどに ア・イ・ド・ル”」という歌を歌っているし、TOBEに移籍してからも「THE iDOL」というアルバムを出し、「iDOLING」という歌を歌っている。
三宅さんの曲で歌われる「アイドル」とは、ステージやテレビで見せる姿は虚像であり、本当のありのままの自分ではない、しかしその虚像すらも自分自身である──と、私は解釈している。
ファンはアイドルが見せる姿は虚像であるという認識は持っていてほしい、その上でアイドルのことを愛してほしい、そういうことなのかなと。
私はあんさんぶるスターズが好きなので、こういう話を聞くと日々樹渉周りの話を思い出す。
日々樹渉も作り上げた仮面を愛してほしい、その仮面はあくまで仮面であり、仮面の下に隠れている本物の自分とは違うかもしれない、しかし仮面もまた自分自身で見せたい自分の具現化だからそれを愛してほしい──要約するとそんなようなことを言っていた記憶がある。*1
虚像や仮面の話はアイドルだけに限った話ではなく、社会で生きていく上でみんな何かしらその場に合わせた自分を作っているという側面はあると思う。
しかし、確かに芸能人、特にアイドルはその側面がより強く出ると感じる。
アイドルは応援してくれる人から幻滅されないように、日頃から言動に注意する必要がある。
法律は守らなければならない──のは誰だってそうだけど、例えば人のことを蔑ろにする発言は控えるだとか、恋愛している素振りは見せないようにするだとか、タバコもギャンブルも仮にしていたとしても表には見えないようにこっそりするとか。とにかく一般人よりも制約が多いと思う。
一挙手一投足が注目される職業だから仕方がないけれど、そうなってくるとファンの前で見せる自分と裏の自分はどんどん乖離していく。そして、ファンの前で見せる自分は虚像となっていく。
三宅さんのアイドル論はとてもよく分かるし、私もアイドルを見る時はアイドルのそういった側面を多少意識しながら見ることがある。
でもそれとは別に、私の中で"アイドルとは"、と考えていることがある。
私の中でアイドルという職業とは、「自分の人生を他人に消費させる職業」だと考えている。
デビュー後のジャニーズもといスタエンのアイドルが誰しも通る、一万字インタビューが顕著だと思う。
自分のこれまでの半生を振り返り、あの時はこうだった、実はこんなことがあったと語る。
インタビュー形式ではあるけれど、自分がアイドルとして生きてきた時間がまるで物語のように文字にされる。
一般人として生きていても、今の時代なんかは手軽にエッセイや日記という形で自分の人生を開陳することはままあると思う。
だが、アイドルはアイドルでいる限り、常に自分の生き様が他者の手によって物語になるし、その物語は不特定多数の目に晒される。
彼は事務所にこういうきっかけで入所して、入所したての頃はこんなことを言っていて、こういった努力を重ねて、今の地位を築いている。
そういった物語をファンはありがたがって消費するし、アイドル自身もその消費スタイルを否定しない。否定しないどころか、逆手に取って自分たちの手で物語化して、「僕たちの物語をリアルタイムで見届けてみませんか」と売り出すところも少なくはないだろう。
昨今話題のサバイバル番組なんかも、応募者たちが勝ち抜いていく過程という物語を視聴者に見せて、物語の運命を左右するのはあなたたちです、是非この物語の結末を一緒に見届けましょうという仕組みになっているように思う。
それで言うと、嵐は自分たちの人生を物語にするのがとても上手い人たちだったなと、私は感じている。
「COOL&SOUL」や「Re(mark)able」、「5×10」、「Song for you」、「5×20」なんかは特に分かりやすいだろう。
若いうちは将来の展望、これから遂げる予定の野心を見せて、成熟しきったタイミングではこれまでの振り返りとこれから先の未来の話をしている。
2006年や2008年に見せた野心が上手く成功しているのもまた綺麗な物語に見える大きな一つの要因だとは思うけれど、それにしたって歌詞を見るだけで嵐というグループの物語が伝わってくるのが上手いなあと思うところだ。
自分たちの人生という物語を他人に消費させる。
物語にするということは、見届ける人たちのこうなってほしいという願望も、これからどうなっていくんだろうという期待も背負うことになる。
これがフィクションの創作であれば、周りの反応を見て展開を調整していくことは簡単だ。
創作物の創造主である作者に展開の全ては委ねられており、主人公が上手くいくのもいかないのも作者次第だからだ。
しかし、現実の人間相手ではそうもいかない。
予測不可能な展開は起きまくるし、人それぞれで考え方も感じ方も違うから、期待する展開になることは極稀だろう。
期待に応えていく、常に自分の生き様を見られている、言葉行動全てに意味が生じていく。
悪い印象を与えないという意味以外にも、アイドルの行動は他者の視線によって縛られているのではないか。
本来自分だけのものであるはずの人生を切り売りして他人に消費させるということは、令和の倫理観においては多少のグロさを感じなくもない。
そもそも、現代じゃ(法令遵守さえしていれば)何をするにも自由なはずなのに、アイドルになればその人は商品となり、生き様そのものがコンテンツとなり、消費者にお金を気持ちよく出してもらうために相応しくない言動は制限される。
消費者から嫌われない、愛されるための行動制限はプロ意識なんて美化した言葉で表現されるけれど、これを一般人相手に求めたら人権侵害モノなことだってある。
だけど、アイドル相手になら許される。
アイドルは消費者にとってはもはやただの一人の人間とは違う、「私を楽しませてくれる娯楽コンテンツの一種」なのだ。
まるでアイドルオタクは人権侵害のならず者のように書いたけれど*2、アイドルオタクの一人である私は、アイドルのそういうところが好きでアイドルの人生を消費している節がある。
他人の人生を娯楽として楽しむなんて普通するもんじゃないと思うけど、アイドルはアイドル側から「そういう風に消費してください」と売り込んでいる。だったら金を払えば消費してもいいんだという大義名分、言い訳ができる。
他人の人生に傾倒なんてしてないで自分の人生を生きるべきではあるけれど、大衆向けコンテンツとして事務所に管理され売り出されているアイドルの人生と比べたら、自分の人生なんてつまらないものだ。
だからこそ、この物語をできる限り見届けたいという思いで他人の人生に傾倒してしまう。
私は若手俳優のことも応援していて、昨今の若手俳優は割とアイドルっぽいことをする人も多いけれど、やはりアイドルの消費の仕方とは違うなと感じる。
個人イベントでこれまでの振り返りをすることもあるが、どちらかというと作品の裏話になりがちで、それはその人本人のことを掘り下げるのとはまた少し違う。
アイドルは個人やグループの思想が活動に大きく反映されるのに対して、俳優は活動内容に個人の思想が反映されることはあまりない。他人の人生を演じることが仕事の目的だからだ。
そういう意味では、よほど二次元コンテンツを消費する時の態度の方がアイドルオタクをしている時に近しいと感じる。
小説や漫画やアニメこそ、キャラクターの生き様や物語を楽しむために作られているからだ。*3
現実に存在しない、生きていない、極端に言えば人権も尊厳も存在しないキャラクター相手にする消費の仕方と同じを、アイドルに対して行っている。
2.ゆうぴとアイドルについて
前述の通り、私の中ではアイドルというものを「対価を払えば他人の輝かしい人生を消費しても良い存在」と捉えている。
だからこそ、BINGO*4の挨拶でゆうぴが「髙橋優斗の生き様を見せていきます」と言った時はかなりビックリした。
「アイドルとは」の答えは人それぞれで違うと思う。
ステージ上で歌ダンスを披露し愛し愛される存在、夢や希望を与える存在、疑似恋愛的な存在、型にはまらずなんでもできるしやれる存在。
正直なところ、ゆうぴのことは顔が好きで面白くてこの人を追っかけたら楽しそうだな〜くらいの気持ちでいた。
でもその挨拶を聞いて、この人は自分の人生そのものが他人にとってのエンタメになることを理解しているんだと感じた。それが意識してのことなのか無意識のうちになのかは分からないけど、とにかく彼が自分の人生を見てもらって楽しんでもらいたいと思っていること自体が私にとっては衝撃だった。
そもそもHiHi Jetsが「俺たちを利用して楽しんで」というスタンスのグループではあるけど、楽しませるために届けるコンテンツはアイドルなんだからライブやバラエティ、ドラマ映画舞台といった「仕事」でも問題はない。
でも、ゆうぴは私たちに「髙橋優斗の人生」そのものを届けようとしている。
ゆうぴの発言に衝撃を受けた私だが、しかしこれは"職業アイドル髙橋優斗"としての発言だと思っていた。
前述の通りアイドルは人生を切り売りする側面を持つ職業だから、ファンが胸を張って髙橋優斗のアイドル人生を楽しめるように、そういう意識を持って頑張るのかなと。
しかし、9/19に事務所を退所すると発表し、その報告の中でアイドル人生を終えてもなお髙橋優斗の生き様をみんなに楽しんでもらいたいとはっきりと言葉にしているのを見て、私はもう一度衝撃を受けた。
彼は一般人になってもなお、「髙橋優斗の人生」を誰かに届けようとしているらしい。
退所した直後、何の音沙汰もない期間は一体どういう意味なんだろうかと思っていたけど、意外とすぐにその第一歩は訪れ、ゆうぴは謎のハンネでTwitterを始めたかと思えば程なくして名前を本名の髙橋優斗に変えた。意図してか偶然か、彼の母親と恩師の誕生日という大切な日に。
結局夢は今のところまだ何かは分からないけど*5、投稿は野球実況という趣味に全振りの内容と準備中であるという報告のみではあるものの、アイドルだった時と様子が変わったようには到底思えない。
各方面に配慮をする、不安に思わせるようなことがあればすぐにポジティブな言葉で払拭する、アイドル時代からのファンが自分のツイートを待ち望んでいるという意識が垣間見えることを言う。
なんなら現状発信ツールがテキストベースのTwitterのみということもあってか、むしろアイドルだった時よりもしっかりしているようにすら見える。
もちろん、自分のファン以外の人からも容易に見られる上に、事務所のように守ってくれる人もメンバーのように隣に頼れる人もおらず、自分一人で頑張っていかなきゃいけないから、というのも大きいとは思うけど。
ベイスターズの三浦監督に依頼されてMCを引き受けたという、日本シリーズ直前の緊急特番だってそうだ。
そつなく全員に話を回すMC力はそう簡単に落ちることはないにしても、アイドルだったら触れづらい際どいネタはさらっと流して、ビジュアルもキープしていて、アイドルだった時のゆうぴとまるで変わらずにいるなと感じた。
特にビジュアルについては、まだ辞めて一ヶ月とはいえもう一般人だからと気を遣わなくなっていてもおかしくないなと思っていた。
でも、アイドルとしておそらく最後に撮影されたFC報告動画やハイラジのオフショから大きく見た目が変わっていることもなく*6、むしろここ最近の中でも結構良いビジュアルだったと思う。
応援してくれる人をがっかりさせたくない、自分が発信することにどういう価値があるのかを理解している、自分の人生を見届けてほしい。
ステージに上がって、歌って踊ってをしていないだけで、アイドルだった時と変わった気はあまりしない。
デビュー組の一部みたいに個人SNSを開設して、個人仕事をこなしていて、個人仕事が忙しいからグループのYouTubeやレギュラー番組に出られない、そういう風にも見えてしまう。
ゆうぴは既にアイドル人生に終止符を打ったつもりでいるはずだ。
でも、見せる姿がアイドルだった時と変わらず、ゆうぴの人生を見て楽しむ権利までまだこちらに与えられているのであれば、恐らくゆうぴのことをこれからもアイドル的に消費するだろう。少なくとも私は。
そしてこれは、私に限った話じゃない気がしている。
一般人になったゆうぴは、恋愛、結婚に限らずありとあらゆる人付き合いが自由になるはずだ。
しかし、たとえ頭ではもう彼はアイドルではないと理解していても、アイドル的に望ましくない人付き合いが露呈した場合、きっと批判的な意見が出てくるんじゃないかという危惧がある。
こういう例として出して申し訳ないけれど、たとえば嵐だって活動休止してもう4年近くはアイドルの本業といえる歌って踊ってをほとんどしていない。
でも、まだ彼らは嵐である以上、アイドルだ。
そしてアイドルだから、結婚して子どもができても家庭の話は滅多にしない。
アイドルとして、その話題は望まれていないからだ。
ゆうぴはもうアイドルではないし、ステージの上で歌うことも踊ることもしないだろう。今のところは。
でも、在り方そのものがアイドル然としている限り、これからもアイドルのような振る舞いが求められるように思えるし、なんならゆうぴもアイドルらしい振る舞いを続けるんじゃないかと感じている。*7
3.ゆうぴはもうただの一般人なのか
今まで自担や推しが芸能界を引退した経験がないので分からないが、それでもゆうぴの例はまあまあ稀有な例なのではないかと感じている。
今のゆうぴはアイドルではないはずなのに、アイドルの時と変わらずにいてくれる。
待たせることなく、飽きさせることなく、髙橋優斗の人生を見せてくれようとしている。
自分を愛してくれる人の期待に応えようとしている。
もしかしたら多くのアイドルにとっては虚像となりつつある「アイドルとしての姿」が、ゆうぴにとっては虚像ではなく実像なだけかもしれない。それはそれでゆうぴは生きているだけでアイドルだということになってしまうので、すごすぎるけど。
作り込まれていない、ありのままの髙橋優斗がそのままアイドルになっていたからこそ、アイドルという職業を辞めても何も変わらない、みたいな。
しかしそうだとしても、やっぱりただの一般人として彼と向き合うのは難しいだろうなと思う。
アイドルらしくない振る舞いをした時にそんなことをするなと非難するのはお門違いなのは間違いない。
でも応援する態度としては、ゆうぴが自分にはまだ応援してくれる、求めてくれる人がいて、そういう人たちに自分の生き様を見せていきたい、そう思い続ける限りは、彼がアイドルだった時と変わらない、変えることができないだろう。
たとえゆうぴが歌わなくても、踊らなくても。
だからこれからも、顔見せて😻‼️とか、最近何してるか何ハマってるか教えてほしいな〜😻‼️とか言うし思うし、綺麗なままでいてほしいと願ってしまう。
綺麗なままとは、を説明するとまた長くなりそうだからここでは省略するけど、幻滅したくないと言い換えても差し支えないだろう。勝手に期待しておいて勝手に幻滅するなんて傲慢な態度だと思うが、アイドルオタクってそういうものだと思う。
もうアイドルではない人をアイドルのように消費するのは、本来あまりよくないことだと思う。
でも、ゆうぴが生き様を見せてくれる間は許してほしい。もちろん、許す許さないを決めるのはゆうぴだけなんだけど。気持ちの問題としてね。
とりあえず今は、新しい夢が全力で応援したいと思える夢であってほしいなと願うばかりだ。
*1:私は千秋並びに流星隊周りが専門なので、もしかしたら違う解釈があるのかもしれないけど、怪盗VS探偵団やサンクチュアリを読んだ時に日々樹渉ってそういう人なんだなと思ったという話
*2:個人的には実際そういうところはあるだろうと思っている
*3:そうでない場合もあるかもしれないが、大多数のコンテンツはそうだと思う。
*4:今年のHiHi Jetsのアリーナツアー。ゆうぴがアイドルとして最後に立ったステージでもある
*5:準備中ということだけは分かる。準備中って何を準備しているんだろうかという感じだが
*6:なんならハイラジのオフショとかやや顔が浮腫んでないか……といった様子だったので……(コラ!)
*7:あまりにも勝手な持論で憶測なので脚注の方に書くけれど、ゆうぴは「やりたくないことはやらないけど、求められたものでやれる範囲のことであればなんでもしたい」というタイプのように見えるので、アイドル的な振る舞いが余程キツいと感じない限りは、みんなが見たい、みんなのアイドルゆうぴーの姿を見せ続けるんじゃないかと、そう思っている。いつまでどこまで続けるのかは分からないけど。